イラン イラク 戦争 日本 の タンカー

1985年3月12日の毎日新聞夕刊は「テヘラン爆撃 イラク軍報復 市民5人が死亡 日本人の大多数が住む地区」と伝える。「2軒隣の中庭に爆弾が落ちた」と話す縣正樹さん(62)の住んでいた家は、窓ガラスが割れたり壁が崩れたりし、住める状態ではなくなった。83年からイランの首都テヘランの日本人学校に赴任していた縣さん。妻や子供と地下に避難した際、ずっと大人の悲鳴やうめき声が聞こえていたという。「 … 現在JavaScriptが無効になっています。Yahoo!ニュースのすべての機能を利用するためには、JavaScriptの設定を有効にしてください。JavaScriptの設定を変更する方法はこちら。, ドローンから撮影された写真を公開し、米軍に撃墜されたことを否定するイラン側(写真:ロイター/アフロ), [ロンドン発]石油輸送の大動脈である中東のホルムズ海峡周辺で19日、英国の石油タンカー2隻が相次いで拿捕される事件が起きました。4日後に退任が迫るテリーザ・メイ英首相は国家緊急治安特別会議「コブラ(COBRA)」を招集して対応を協議しています。, 英海兵隊は4日、英領ジブラルタル沖でイランの石油スーパータンカーを拿捕しており、その報復とみられます。ジェレミー・ハント英外相は「こうした拿捕は受け入れられない。航行の自由を維持することは不可欠だ。すべての船舶は安全かつ自由に航行できる」と非難しています。, 米国のドナルド・トランプ大統領は「英国と協力して対応している。イランはトラブル以外の何物でもないが、対立は最終的に円滑に解決されるだろう」と話しています。, 英メディアによると、同日午後4時(英国時間)、英国船籍の石油タンカー「ステナ・イムペロ(the Stena Impero)」が重武装したイランの艦艇とヘリコプターに囲まれ、航路を北に変更してイラン領海に入るよう命じられました。, ステナ・イムペロ号には23人が乗り組んでいます。イラン国営放送は同号が国際海洋法を順守していなかったため、イラン革命防衛隊が押収したと報じました。, 45分後、今度は英国の海運会社「ノーバルク・シッピング(Norbulk Shipping)」が運航するリベリア船籍の石油タンカー「メスダー(the Mesdar)」が同じように航路を北に変更するよう命じられました。武装したイラン革命防衛隊が乗り込んできました。, 2隻ともドバイ・フジャイラを出港してホルムズ海峡を通過していました。メスダー号は再び自由に航行するのを許されているそうです。, 石油スーパータンカーの船長を務め、ホルムズ海峡を何十回と航行、1980年代のタンカー戦争、91年の湾岸戦争など「危機のペルシャ湾」をくぐり抜けてきた片寄洋一氏に緊急インタビューしました。, 「かつて、イラン・イラク戦争があり、その最中にタンカー戦争(Tanker War)というタンカー受難の戦争(1982年7月以降~88年)が始まりました。だが我が国では原油輸入に大きな影響があったにもかかわらず、ほとんど報じられることはありませんでした」, 「外国で日本人の生命に関わるような事件・事故があれば大々的に報じられますが、海上の事故・事件になると途端に少なくなるか、無視されるかです」, 「現在、アデン湾やソマリア沖での海域での海賊に対し、各国海軍は軍艦を派遣、海上自衛隊も護衛艦2隻を派遣し、協同で船舶の護衛に当たり、海自の哨戒機P3Cが上空から監視を続けていますが、ニュースにもならないし、国民の関心もありません」, 「タンカー戦争はイラン・イラク戦争中に起きました。一進一退の泥沼状態になり、相手国を打倒するには手段を選ばないようになりました」, 「原油輸出のための港湾施設、石油採掘施設、ついにはペルシャ湾を航行中のタンカーへの無差別攻撃、やがて一般船舶までも攻撃対象になり、湾内には機雷がバラ撒かれ船舶航行には最悪の海域になりました」, 「ギリシャ籍の貨物船がイラク空軍機のロケット攻撃で沈没、韓国籍貨物船イラン空軍機の攻撃で炎上、沈没。トルコ籍貨物船にイラク軍が発射したエグゾセが命中、乗組員が多数死傷しました」, 「これらはほんの一部に過ぎず、触雷による被害も続発しました。1984~87年の4年間で総件数363隻の船舶が被害を受け、そのうち276隻はタンカーが占めました」, 「この危機的状態に対し当時、米国8隻、ソ連4隻、英国4隻、フランス3隻、イタリア3隻、オランダ2隻、ベルギー2隻の海軍艦艇が派遣され、掃海と自国船舶の護衛を実施しました」, 「当時、我が国は最大のペルシャ湾利用国でしたが、海上自衛隊の派遣は憲法上の制約から考慮もしなかったようです。掃海部隊を派遣したのは後年の湾岸戦争後での掃海部隊派遣からです」, 「我が国関連は、日本が定期傭船していたリベリア籍タンカー『ケミカル・ベンチャー』が被弾したのみでした。被害が少なかったのは日本関連(日本海運会社のチャーターだが便宜置籍船)のタンカーは別のタンカーが運んできた原油を安全海域で積み替えいていたからです」, 「この方法は相当高い船賃に転嫁され、さらにペルシャ湾配船の船舶に対するロイドを中心とする海上保険は通常の200倍に跳ね上がったため、船舶運賃も当然ながら猛烈な高騰をみました」, 「イラン・イラク戦争は終結、しかし、それで終わりませんでした。イラクのクウェート侵攻と併合。湾岸戦争、クウェート解放、有志連合によるイラク侵攻作戦。ペルシャ湾の危機的状況は現在に至るも解決した訳ではありません」, 「シリアは内乱状態。アラビア半島南西端とアフリカとの間のバベルマンデブ海峡も怪しくなってきました。危険海域は数多くあります。世界中が安定しない限り紛争は続きます」, 「ホルムズ海峡、バベルマンデブ海峡、マラッカ海峡、南シナ海の南沙(スプラトリー)諸島、バシー海峡など危険な海域は数知れず、特に絶対的な危険海域はペルシャ湾内とその出入口であるホルムズ海峡です」, 「ホルムズ海峡封鎖の恐れは常に付きまとってきたし、狭い海峡の中央に船を沈めると、簡単に封鎖されてしまいます。喫水の深い大型タンカーは海峡の中央部しか航行できません」, 「もう一つ日本国民が知らない裏事情は、政府指導で日本人船員を切り捨ててしまい、我が国の必需品を運ぶ船舶の乗組員は大半が船長を含めて外国人船員になってしまいました」, 「我が国外航海運は、第二次大戦中、軍事輸送船として徴用され、米潜水艦によって撃沈され、壊滅的な打撃と多数の乗組員が船と運命を共にしました」, 「戦後はゼロから立ち上がり、昭和40(1965)年代には世界一の大海運国になり外航商船隊(外航船1580隻)になり、外航船舶職員数約7万人を築き上げました」, 「ところが平成18(2006)年、外航船舶95隻、外航船員約2500人、28分の1に減少、現在はさらに減少してしまいました」, 「船員とは徒弟制度のように下から経験を積み上げていくモノなので新人が入ってこなければそこで途切れてしまいます。従って限りなくゼロに近づきつつある危険な状態です」, 「便宜置籍船は(1)パナマ(2)リベリア(3)マーシャル諸島(4)香港(5)シンガポール(6)バハマ(7)マルタ(8)ギリシャ(9)中国(10)キプロスです」, (筆者注)米中央情報局(CIA)の世界ファクトブック2018年によると、石油タンカーの便宜置籍船は(1)マーシャル諸島(2)パナマ(3)リベリア(4)マルタ(5)バハマ――の順。, 国際統計専門サイト「グローバルノート」によると、世界の商船保有船腹量(船主国ベース)では(1)ギリシャ330,176千DWT(載貨重量トン)(2)日本223,615千DWT(3)中国183,094千DWT(4)ドイツ107,119千DWT――の順になっている。, 「乗組員は1974年をピークに年々減少。大部分はフィリピ人(75%以上)、そのほかインド、ミャンマー、中国、韓国、ベトナム、クロアチア人などです」, 「日本人船員は内航、漁船にはいますが、外航船には一部管理職(船長、機関長)として乗船しています。また外国人の乗船指導、訓練、指導、陸上での船舶管理に従事しています」, 「従って、ホルムズ海峡封鎖の実力行使が行われた場合、外国人船員は就航拒否、集団下船は十分に考えられます」, 「この恐れが現実に起きました。7月10日に、ホルムズ海峡通過中のエネルギー会社BPのタンカー『ブリティッシュ・ヘリテージ』にイラン革命防衛隊の小型船3隻が近づき、航路を変えてイラン領海内で停船するよう要求したのです」, 「これに対して『公海自由の原則』であるから、航路を変えず航行(東航路、西航路は公海になる)。航路を変えれば即イラン領海に入り、拿捕される危険性がありました」, 「幸い護衛の英海軍のフリゲートHMSモントローズが警告を発し、砲口を向け、イラン革命防衛隊の小型船は姿を消しました。もし護衛の軍艦がいなかったら拿捕されていたでしょう。まさに危機一髪でした。もし日本関連の船なら完全に拿捕されていたのでしょうか」, 「ホルムズ海峡が危機になれば米国が守ってくれるだろうとの希望的観測は、もう通用しません。1980年代のタンカー戦争の時は、米国を中心とした欧州海軍が軍艦を派遣して護衛しくれました。その時は米国が最大の石油輸入国だったからです」, 「しかし現在、米国は最大の産油国であり、中東石油に頼る必要は全くありません。我が国に輸入される原油の8割以上はホルムズ海峡を通過して日本に運ばれてきます。そのタンカーの大半は便宜置籍船であり、乗組員は外国人なのです」, (筆者注)ホルムズ海峡は原油・石油製品合わせて日量1700万バレルが行き交うエネルギー供給の大動脈。日本が輸入する原油の8~9割を占める中東産原油の大部分がホルムズ海峡を通過して日本に運ばれている。, 「トランプ大統領は『自国の船は責任を持って自国の船を守れ』と明言しました。至極当たり前の言ととらえましたが、日本政府及び日本国民は、自国に運ばれる船荷であっても守るという意識は生まれてきません。従って、原油を運ぶ船舶は就航拒否となるかも知れません」, (筆者注)トランプ大統領は6月下旬、「中国は原油の91%を(ホルムズ)海峡から輸入している。日本は62%だ。他の多くの国も似たような状況だ。どうして我が国が他の国々のために何年も何の見返りもなしにシーレーンを守らなければならないのか」「こうしたすべての国は自国の船舶を自分たちで守るべきだ」とツイート。, 「事実、タンカー戦争の時は海員組合が日本人船員のペルシャ湾への就航を拒否。やむを得ず、外国籍船をチャーターして原油を積載して、ホルムズ海峡を抜け、安全海域で待ち受ける大型タンカーに積み替えて日本へ運ぶという裏技を行いました。当然、船賃は暴騰しました」, 「今度は大半が便宜置籍船であり、外国人船員になります。命を賭して日本の原油を運ぶなど、期待する方がおかしい」, 5月12日、サウジアラビアの石油タンカー2隻を含む4隻がアラブ首長国連邦(UAE)沖で攻撃される, 6月12、13日、安倍晋三首相が現職首相として41年ぶりにイランを訪問。イラン最高指導者アリ・ハメネイ師は原油禁輸制裁の停止を要求, 6月13日、ホルムズ海峡近くで東京の海運会社「国華産業」などが運航するタンカー2隻に機雷攻撃, 6月20日、イラン革命防衛隊が領空侵犯した米国の無人偵察機RQ-4グローバルホークを撃墜, 6月24日、トランプ大統領がハメネイ師を含む新たな対イラン制裁を発動。報復攻撃見送る, 7月7日、イランがウラン濃縮上限の3.67%を突破。60日ごとに核合意違反をエスカレートさせると警告, 7月14日、イラン革命防衛隊が原油100万リットルを密輸していたとして12人乗り組みのタンカーを拿捕, 在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com, ※本コメント機能はFacebook Ireland Limitedによって提供されており、この機能によって生じた損害に対してヤフー株式会社は一切の責任を負いません。, エリザベス女王もボブ・ゲルドフもワクチンキャンペーンに参加 欧州は英の早期承認に「抜け駆け」, オバマ氏も接種公言 ワクチン懐疑主義が根強い日本でコロナ予防接種は果たして広まるか 偽情報対策が急務, 斎藤慎太郎八段(27)全勝で走るか? 豊島将之竜王(30)追い上げるか? 12月9日、A級5回戦(松本博文), 妻が妊娠中にクビ宣告…TBS『プロ野球戦力外通告』の放送作家が恐怖と感動に震えた5年前の奇跡(谷田彰吾), 変わらぬ虎と地元への愛 元阪神・森田一成さんがタイガースアカデミー岡山校のコーチに(岡本育子), 日仏合同プロ自転車ロードレースチームを襲った不運。運営陣の内紛とコロナ禍が、日本側との確執を生んだ(宮本あさか), 家族を苦しめる、持続化給付金の不正受給の知られざる詐欺の実態。加害者となった息子の後悔と母親の苦悩。, 12月7日の関連記事スクラップ/ジョブ型雇用の意味バラバラ/大学受験・近場選ぶ傾向. イラン・イラク戦争で、ペルシャ湾沖のタンカーがいくつも攻撃、爆破されたが、このとき、日本の船会社では、中東の地図にタンカーが攻撃された点を記したものを資料として持っていたと聞いた。この … イランは犯人である事を強く否定 しています。. Osprey Publishing. 米軍の介入 今回のタンカー攻撃の背景にあるのはもちろん、アメリカの軍事的圧力とそれに対抗するイランという構図である。イランはアメリカに対抗することを宣言しており、ホルムズ海峡で軍事的行動をとる可能性についても、対米けん制の文脈でかねてから示唆していた。 表立って軍事行動をしなくても、裏工作でホルムズ海峡の安全を脅かすだけで、アメリカの軍事力では地域を安定化できないこと、さらにはアメリカの軍事的圧力がむしろ地域の安全に悪影響をおよぼすことを示すことにもなる。 こうした「 … 安倍総理大臣は6日、三重県伊勢市内で年頭記者会見を行い、緊張が続くアメリカとイランとの対立について「深く憂慮している。事態の更なるエスカレーションは避けるべきで、すべての関係者に緊張緩和のための外交努力を尽くすことを求める」と述べた。また、海上自衛隊を中東へ派遣する方針については、現時点で変わりがないことも明らかにしている。 飯田)1月中旬にはサウジアラビア、UAE(アラブ首長国連邦)への訪 … イラクによる化学兵器の使用 日本のタンカー攻撃をイランの仕業と見せかければ、アメリカのイラン攻撃への口実にもなると思います。 イランにとっては友好国で原油の取引先の日本を攻撃するメリットが何一つないです。 しかも乗組員44名を救助したのはイラン軍です。 [Sponsored Contents] 日本とトルコ 125年の友情 - 日本とトルコがなぜ深い絆で結ばれたのか、その答えは125年前の救出劇にあった The Iran–Iraq War: 1980–1988. そのためにも仲間の国と力を合わせる。 当たり前の話で、日本の有志連合参加が望ましい。 1980~88年にイラン・イラク戦争があった。 両国は84年から、ペルシャ湾やホルムズ海峡で各国タンカーを攻撃する暴挙に出た。 「タンカー戦争」である。 Cozy up!」(6月13日放送)にキャスターの辛坊治郎が出演。なぜ日本がアメリカとイランの仲介をしたのかということについて解説した。 安倍総理とイラン大統領との会談… ニッポン放送「飯田浩司のOK! 日本メディアは 「(タンカー攻撃をイランが行ったという)米国の主張は説得力に欠けていると日本政府が受け止めている」 と分析した。 日本政府内では米国が主張する 「イラン関与説」 は 推測にすぎない との見方が出ている。 ハラブジャ事件, タンカー戦争(タンカーせんそう、英: Tanker War)は、イラン・イラク戦争中、イラン軍・イラク軍によるペルシャ湾を航行しているタンカー等の船舶に対する攻撃と関係各国による一連の対策をいう。, 1982年7月に実施されたラマダン作戦の実質的な失敗により、イラン軍にとりイラク領への侵攻作戦は一進一退の泥沼状態となった。イランはこの状況を覆し戦争を有利に展開(あわよくばイラクバアス党政権を打倒し、より親イスラム的な政権を樹立させる)する為あらゆる手段に打って出た。当初は石油採掘及び精製施設に対する攻撃であったが、やがて港湾施設、ついで航行中のタンカーに対する攻撃へとエスカレートしていった。, 一方のイラクも、イラン軍の反攻で痛手を負い是が非でもイランを停戦交渉へ向かわせる必要性にせまられていた。イラク空軍はその優勢な航空戦力を動員し同年7月14日にイラン領ハールク島の石油積み出し港を攻撃、8月12日にはペルシャ湾北西部一帯を航行禁止海域に設定した。, イラクによるハールク島付近での海上封鎖戦は実際には激烈でなく、多数の船が同島に入港しておりブーシェフル港(ハールク島東南部)とバンダレ・アッバース港も使用しており損害は(全体としては)軽微であった。当時のイラクのサッダーム・フセイン大統領の狙いだったとされるイランによるホルムズ海峡封鎖は起きなかった[1]。, 航行禁止海域設定がなされる8月12日以前の8月9日には、ギリシャ籍の貨物船(5,000t)がイラク軍航空機によるロケット弾攻撃を受け沈没、乗員はイラン海軍艦艇に救出、韓国籍の貨物船も同じくイラク軍機による攻撃で炎上の末沈没、乗員9人が死亡または行方不明となった。イラクによる航行禁止海域設定はこの様な事態を防ぐための処置であると説明がなされたが、実質的にはイランに対する海上封鎖であった。, 9月4日には、トルコ籍の貨物船「マーズ・トランスポーター」号にイラク軍ヘリコプターまたは海岸から発射されたエグゾセが3発命中、乗員3人死亡、3人が負傷した。同時期にはカーグ島に対しての攻撃を強化した。これに対しイラン軍守備隊は防空部隊を強化、イラク軍機は損害を回避するために地対地ミサイルによる攻撃も併用した。11月には禁止海域を拡大した。, この時期のアメリカ合衆国、ソビエト連邦両超大国は基本的に静観していたが、ソ連は一方が強くなるともう一方に援助して強大な勢力を作り出さない戦略を志向する事となる(イブン・アキール作戦以降、完全にイラク援助に絞る)。アメリカはイラン革命政権と決定的な対決姿勢(イーグルクロー作戦以後、人質が解放されてもなお)を崩しておらず、必然的にイラクに援助が(なかには本来イラン・パフラヴィー政権向けの武器も含めて販売)行われた。同じくしてフランス、スペイン、エジプト、ブラジル、中華人民共和国から大量に武器を取得、さらに韓国などからも弾薬や一部小火器及びその他の軍需物資の取得がなされた。, イランは軍需物資調達に関しては孤立的状況にあったが、やがて北朝鮮から(軍事顧問込みで)少量ではあるが武器などが売却される。イラン最大の武器供給国[2]である中華人民共和国は北朝鮮を仲立人に武器を売却し、のちに直接取引するようになった[3]。また、南アフリカ、イスラエル、シリア、リビア(イラン・コントラ事件を含めればアメリカ合衆国も)からも調達が行われるようになる。, アメリカ軍はイラン・イラク両国の海上における戦闘に対処するため、当初はカタールやバーレーン等湾岸諸国に駐留するつもりであったが、これらの諸国はアメリカの恒久的プレゼンスを構築されるのを嫌い、必要に応じての軍事援助だけを求めた。これに対し周辺国との摩擦も避けるためにアメリカ海軍はアラビア海上に艦隊を遊弋させ、アメリカ空軍はイスラエル国内の航空基地及びディエゴガルシア島の航空基地で待機し、ペルシャ湾岸諸国から要請があった場合のみ出動する態勢がとられた。, イランは、イラクによる船舶攻撃に対する有効な手段を持たず、小規模な船団を組んでこれに対抗し一部の作業は自動小銃を所持したままのイラン軍兵士が代行した。, 具体的には、シリー島及びラバン島沖の集合点を経由してブーシェフル港に入港(同港はイラク軍航空攻撃の限界距離にあたる)。出航する場合は夜明けとともにブーシェフル港を出発し護衛なしで貨物船はバンダレ・ホメイニ港に向かい、タンカーはハールク島かバンダル・ヌーシェル港に向かう。北緯29度線にあるホラ・ムサ海峡に入る前に水先案内人が乗船し、暗いうちに入港を済ませる。この間は船舶、灯台なども灯火管制の対象となり真っ暗闇であるが、代わりにイラン軍の沿岸レーダー管制を受ける。逆にブーシェフル港に戻る場合は護衛なしで昼間移動した。, さらに、ペルシャ湾内を航行する際は写真撮影や無線封鎖を徹底し、各船舶には元イラン海軍士官(彼等は革命前に西側諸国で訓練を受けている)が乗り込み航行を支援した。, ノールーズ油田攻撃後は付近を航行する船舶に対し無線通信を義務づけ、応答しない場合は友軍であっても拿捕した。これにより難民を乗せたイラン漁船多数が、無警告で撃沈された。, イラクは1983年になってもイラン艦艇・船舶に対する攻撃を継続した。それらの損害など詳細は不明であるが第三国も含めて、相当数の船舶が犠牲となった模様である。この年以降、イラク空軍及び海軍航空隊はフランスからミラージュF1とそのつなぎのシュペルエタンダールを29機及びエグゾセミサイルを取得し戦力の増強に務めた。(フランス軍の介入についての詳細はイラン・イラク戦争における航空戦を参照)。この年からイラク空軍は、イランの石油施設とそれに付随する港湾施設への攻撃を激化させた。ただし攻撃に使用された弾種は威力の低いロケット弾が主であったため損害は少なく、イランの石油積み出し能力は概ね前年と同じ水準であった。しかし、シャッタルアラブ川河口部にあるノールーズ海底油田採掘施設をイラク空軍機による攻撃で完全に破壊し原油が海面に流出、ホルムズ海峡まで広がった石油汚染はペルシャ湾岸諸国に深刻な影響をもたらした。, この頃にはイギリスのロイズ等の船舶保険の保険料は以前の200倍になり、ペルシャ湾を航行する船舶も激減した。さらに世界における石油需要は上昇していたものの、原油価格は下落が続いていた。これはイランを中心にペルシャ湾諸国での生産過剰が原因であった。, イランはエグゾセミサイル対策を講じた、一つは囮となる浮船を多数作りこれに反射器を載せエグゾセのレーダーを惑わせることを狙った。もう一つが同じく反射器を取り付けた無人機(或いは凧)を随行させ、これにミサイルを引きつけようとした。, 5月以降、今度はイラン空軍のF-4戦闘機やP-3Fが第三国籍タンカーなどに対して攻撃を開始。イラク空軍の作戦距離外及びサウジアラビア空軍のF-15戦闘機の警戒空域外にて間隙を縫うように活動した。ただし、使用したミサイルは(対戦車目的で作られた)AGM-65 マーベリックミサイルのように対戦車ミサイルが主流であり、船舶に命中しても小さな穴しか開けられず、大きな損害は発生しにくかった。, 本来であれば船舶による石油輸出に全面依存しているイランとしては、この種の攻撃自体自殺行為に近いが(イラクはトルコ経由のパイプライン輸送に移行しつつあった)イラクに援助しているペルシャ湾諸国に警告を与える為にあえて実行された。5月24日にはリベリア籍のタンカー「ケミカル・ベンチャー」号が被弾、この船は日本向けの定期傭船であり、日本に係る船舶が攻撃を受けたのはこれが初めてとなった。, この頃からイランは、石油輸出先側タンカーの空爆被害を減らすため、輸出先側タンカーの航行をなるべくハールク島から離れた海域までにとどめることとし、ペルシャ湾南部のシリー島海域での積み替え輸送を開始した[4]。具体的には、イラン側でチャーターしたVLCC・ULCCクラスの大型タンカーを母船としてシリー島海域の泊地に停泊させ、ハールク島からシリー島までやはりイラン側チャーターのタンカーで石油をピストン輸送し母船タンカーに積み替え。そこから更に輸出先側タンカーに積み替えを行うという方法となった[4][5][6]。, 1月、イラク空軍はシュペルエタンダールやシュペルフルロンに搭載されたエグゾセミサイルによって船舶5隻を大破させた。これらの攻撃は5月まで継続され相当数の船舶が犠牲となった。イラク空軍は対象となる海域を事前偵察を行わず、無差別に大型目標のみを照準して攻撃した。5月25日、バンダレ・ホメイニ港付近にて8隻からなる船団を撃破、次第に攻撃はエスカレートしていった。, 夏以降のフランスはイラクに対してのエグゾセミサイルの供給を渋るようになった。これはイランによるホルムズ海峡封鎖を恐れたためである。5月29日にはアメリカ合衆国はサウジアラビアに対しスティンガーミサイル400発の緊急援助をした。6月にはクウェート籍のタンカーをアメリカ海軍艦艇2隻で護衛した。, イランは1985年中に約50隻攻撃したとされるが実際には少なかった。石油輸出に関してはハールク島の機能を一部シリー島に移転させ被害を減らし、合わせて新規航路を開拓した。さらにイスラム革命防衛隊に海上部隊と航空部隊を新設、兵員3000人、哨戒艇12隻、パトロール艇10隻。航空部隊は人員2000人、航空機10機が整備された。, 年度初頭にイラク軍は16〜22隻程度の船舶を攻撃(不確実も含めれば50隻を超える)、そのうち5隻が被害を受けた。ハールク島の攻撃も続けていたが少数機による高高度攻撃であるため致命的な打撃を与えることができず、イランの石油輸出に重大な影響はほとんど無かった。ただし、テヘランの指導者層は事態が深刻な方向へ向かいつつあることを理解し始め、9月29日にアリー・ハーメネイー大統領の声明において、ハールク島の機能が完全喪失したならばホルムズ海峡を封鎖すると明言した。, 3月27日にイギリスタイムズ紙にてイランと中華人民共和国との間に武器購入協定が結ばれ、その一部の引渡しが始まったと報じたが、3月29日に中華人民共和国外交部はこの報道を否定した。しかし実際には北朝鮮を経由してイランに流入していた。, イラクもアルゼンチンからFMA IA 58 プカラ40機以上とその整備部品と訓練を含む契約が結ばれた。このCOIN機は人海戦術を採用しているイラン軍にとり脅威となると見られたが、後に契約はキャンセルされている。, 冬から春にかけてイラン海軍と革命防衛隊は臨検、拿捕を強化。空軍による船舶攻撃も平行して実施された。陸上においても第8次ヴァル・ファジュル作戦(第1次アル=ファオの戦い)を発動、イラク軍のシルクワーム地対艦ミサイル基地を奪取し航路の安全を確保した。, この年8月には、輸出石油の積替え拠点となっていたシリー島も空爆を受けたため、ホルムズ海峡内のララク島付近の泊地へ積替え拠点を移動[4][5][7]。ララク島泊地は「ホルムズターミナル」と通称されるようになる。, 3月18日、テヘランにあるテヘラン製油所をはじめアフヴァーズ製油所などへの爆撃を強化、ハールク島への攻撃も激化した。この3月末までにタンカーなど40隻以上が被弾、修復不可能な船舶の総トン数は第二次世界大戦で沈んだ船舶の五分の一に達していた。, この年にはイラン・コントラ事件が発覚、イランはアメリカ製兵器と交換部品の調達に成功したが、アメリカの対イラン関係は益々悪化した。ソ連はニコライ・ルイシコフ首相の親書を携えたコルニエンコ第一外務次官を団長とする外交使節団を派遣した。この交渉にて石油精製施設の修復と経済協力を謳った経済協力協定が結ばれた。フランスもイランに接触し、(原子力発電所建設に伴うフランス原子力庁がパフラヴィー朝から借款した10億ドルに及ぶ債務の問題こそあったが)兵器売却とレバノンにおける人質事件の解決(イランに影響を受けたシーア派系過激派が実行)及び戦後の経済復興について話し合われた。前年に報道された中華人民共和国からの兵器輸出は中国北方工業公司製を主体に10億ドル相当におよんだ。, イラン軍は3月にホルムズ海峡北岸部クヘスタクとケシム島の2箇所にシルクワームミサイル基地を配置、これで同海峡を封鎖できる態勢が整った。これに対してアメリカ合衆国は警告を行った。しかし、イランは年末までに更に2箇所増設しファオ半島にも配置され、中華人民共和国から購入した新型のC801ミサイルも配備された。5月6日ソ連貨物船を攻撃、5月16日にはクウェート沖にてソ連タンカーが機雷に触雷した。8月4日から8月8日かけてオマーン沖の空海域にて大規模な演習を実施、周辺諸国に圧力を加えた。しかしこの頃にはイラン海軍の戦意は低下しており、それに反比例して革命防衛隊海上部隊は訓練不足であったが戦意は旺盛であった。, 陸上ではファオ半島奪回を目指して準備を進めていたが、中・北部戦線の対処に忙殺され遅々として進まなかった。, 5月16日夜間から5月17日にかけてイラク軍のミラージュF1がエグゾセミサイル2発を発射、アメリカ海軍スタークが被弾した。この事件とクウェート籍の船舶護衛問題(クウェートは自国のタンカーにアメリカ国旗を掲揚し、アメリカ籍の船舶扱いをさせるようアメリカに要請した)がきっかけとなり7月24日にアーネスト・ウィル作戦が発動、遂にアメリカの本格介入を招くこととなった。7月以降、各海域にて触雷事件が多発、8月に入って船舶保険料は高騰し始めた。8月10日にイギリス、フランスが、8月27日にイタリアが掃海艇等を派遣することとなった。他にも西側諸国を中心に派遣され、アメリカ8隻、ソ連4隻、イギリス4隻、フランス3隻、イタリア3隻、オランダ2隻、ベルギー2隻の合計26隻の大所帯となり掃海活動と自国船の護衛を実施した。一方、ペルシャ湾産石油の最大の受給者でもある日本に対して参加各国は何らかの行動に出るべきとの声が上がった。キャスパー・ワインバーガー米国防長官は日本国憲法の制約があることを理解した上で資金面での援助を行うことを示唆した。これに対し倉成正外務大臣は6月に開催されたサミットからの帰国途上イランに立ち寄り戦争終結に向けて交渉に臨んでいた。掃海問題に関しては資金と電波航法施設の援助及び国連への緊急拠出を行うこととなった。, ララク島泊地で母船タンカーとしてチャーターされていた香港船籍の世界最大のタンカー「シーワイズ・ジャイアント」(後の「ノック・ネヴィス」)がイラク空軍機の攻撃を受け、大破・炎上した[7]。.

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